Masuk一方のミリアは、今の言葉の真意を計りかねているのか、不思議そうに首を小さく傾げている。その仕草一つとっても非の打ち所がないほど可愛らしいが、瞳の奥には何か納得がいかないといった様子で、不満げな色がわずかに滲んでいた。
かつて王国を統べる者が座していた重厚な玉座には、今や帝国の皇帝が泰然と腰を下ろしていた。そのすぐ隣には俺、さらにその隣にミリアという並びで座らされることになってしまった。皇帝から放たれる圧倒的な覇気を肌で感じ、俺は生きた心地がしない。この居心地の悪さから逃げ出したくて、隣に座る彼女に小声で耳打ちした。
「それよりさ……席を代わってよ」
切実な願いだったが、ミリアは表情を崩さず、凛とした声で即座に却下した。
「ダメですわ。次の皇帝のユウヤ様の席はお父様の隣です」
逃げ道は完全に塞がれてしまった。はぁ、と小さく溜息をつく。この人の隣にいると、心臓の音が耳元まで響くほど緊張する。まるで巨大な肉食獣の傍らに座らされているような、逃げ場のない圧迫感に喉が渇く。
そんな俺の心境など露知らず、皇帝は鋭い眼光で広間を見渡し、低く、しかしよく通る声で問いかけてきた。
「それで、何を騒いでいるのだ?」
その問いに答えるように、ミリアが淀みない口調でこれまでの経緯と現在の状況を説明した。
「そうかそうか……簡単な事ではないか。王国の資金を使い込み王国を破滅に追い込んだ貴族なんだろ?明らかに謀反と同等の罪だろ、全員斬首で良いだろ」
皇帝はまるで今日の献立を決めるかのような、あまりにも無造作で淡々とした口調で、大勢の命を刈り取る言葉を口にした。
その言葉が冷たい氷のように広間を駆け抜けた瞬間、並んでいた元貴族たちの顔から一斉に血の気が引いた。あまりの恐怖に誰もが言葉を失い、広間は墓場のような静寂に包まれる。皇帝がまとう、逃れようのない絶対的な威厳と、肌を刺すような峻烈な威圧感。それだけで彼らを沈黙させ、屈服させるには十分すぎるほどだった。
皇帝が再び言葉を発し、広間の全ての注目が彼に集まった、その刹那だった。 列に並んでいた数人の若者たちが、弾かれたように一斉に立ち上がった。その手には、衣服の下に隠し持っていた小ぶりなボーガンが握られている。彼らの瞳には、理性を焼き切ったような狂気と、どす黒い殺意が宿っていた。
(バカ貴族の逆恨みってヤツね……。わざと騒ぎ立てて混乱を作り、その隙に乗じて皇帝とミリア、それに俺を仕留めるつもりだったのか)
冷ややかな思考が頭をよぎるのと同時に、俺の身体はすでに最適解を選んで動き出していた。常人には視認すら不可能な速度で、亜空間から一振りの剣を呼び出す。抜き放たれた刃が鋭い銀光を放ち、空気を切り裂いて飛来する矢を真っ向から迎え撃った。
硬質な金属音が立て続けに響き渡り、火花が散る。ミリアと皇帝、それぞれの命を刈り取らんと放たれた矢は、俺の正確無比な剣筋によってことごとく叩き落とされ、冷たい大理石の床の上を虚しく転がった。
皇帝の護衛たち、そして皇帝本人ですら、そのあまりに唐突な襲撃に指一本動かすことができていなかった。絶対的な権力者である皇帝に対し、これほどまで堂々と、かつ捨て身の攻撃を仕掛けてくる命知らずなど、これまで一人もいなかったのだろう。護衛たちの顔には、主君を守れなかった驚愕と、自身の油断に対する戦慄が貼り付いていた。
対照的に、隣に座るミリアは微動だにしなかった。頬をかすめるほどの距離で死の礫が弾かれたというのに、驚きや怯えの色さえ見せていない。ただ静かに、隣にいる俺を絶対的な信頼の眼差しで見つめていた。その涼やかな瞳には、俺がいれば決して傷つくことはないという、揺るぎない確信が宿っているようだった。
「――曲者だ! 出会え!」
ようやく我に返った護衛たちが、怒号を上げながら殺到する。彼らは自身の失態を塗り潰すかのように、なりふり構わず剣を振るった。矢を放った若者たちは、反撃の暇も、あるいは弁明の機会すら与えられることなく、血飛沫を上げながらその場に無残に斬り伏せられた。広間には重苦しい沈黙と、鉄錆のような生温かい血の匂いが立ち込めていた。
静まり返った広間に、床に転がった矢が立てる乾いた音だけが虚しく響く。皇帝は自身の喉元を狙っていたはずの凶器を一瞥し、それからゆっくりと視線を俺へと向けた。その瞳には驚きよりも先に、純然たる興味と称賛の色が浮かんでいた。
「ほぉ……我をも護ってくれたか、冒険者よ」
低く重厚な声が響く。しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、隣にいたミリアが弾かれたように立ち上がり、頬を膨らませて異を唱えた。
「お父様っ! 冒険者では無く、わたしの婚約者のユウヤ様ですわっ」
愛娘の烈火のごとき剣幕に、さしもの皇帝も気圧されたのか、少しだけ目を丸くして苦笑を漏らした。
(おおぉ! 大成功じゃん) ユウヤは満足げに息を吐き、張り詰めていた殺気を霧散させた。ドーム状の結界を解くと、そこには驚きに目を見開いたままの護衛が立っていた。 張り詰めていた結界が霧散し、密度を増していた空気がふわりと解けていく。ユウヤは肩の力を抜いてふぅ、と静かに息を吐き出し、先ほどまでの険しい表情を和らげた。「ありがと。それで、どうだった?」 問いかけられた女性の護衛は、呆然とした様子で自身の掌に残る重みを確かめていた。「えっと……一瞬、背筋が凍りつくような鋭い殺意を感じましたが、それは本当に、瞬きをする間の一瞬のことでした。次の瞬間には、まるで春の陽だまりの中にいるような、温かくも力強い何かに優しく守られているような……そんな不思議な感覚でしたわ」 彼女は、刀身に微かな熱の余韻を宿して淡く輝くナイフをじっと見つめ、信じられないといった様子で、感嘆の吐息とともに言葉を漏らした。「大成功だね」 確かな手応えを得たユウヤの口元に、満足げな笑みが浮かぶ。「おめでとうございます、ユウヤ様。歴史に刻まれるような、このような至宝が誕生する瞬間に立ち会うことができて、この上ない光栄に存じます」 彼女は背筋を正し、深く、敬意を込めて一礼した。その真剣な眼差しには、単なる職務上の称賛を超えた、心からの畏敬の念が宿っている。「あ、ありがと。無理な頼みを引き受けてくれて、本当に助かったよ」 真っ直ぐな称賛と敬意を向けられ、ユウヤは少し照れくさそうに指先で頬を掻いた。「お役に立てて、本当に、本当に嬉しいですっ!」 先ほどまでの決死の表情が嘘のように、彼女は頬を林檎のように赤く上気させ、春の陽光のような晴れやかな笑顔を咲かせた。弾むようなその声と、心底嬉しそうに身体を揺らす姿を見て、ユウヤの胸中にも自然と柔らかな灯がともるような、穏やかな安らぎが広がっていった。「俺も訓練するなら、いつでも付き合うよ」「はい。ぜひ、お願いします!」 彼女は弾んだ声で応じ、大切
薬の効果もあり、護衛たちの顔にはようやく安堵の色が戻り始めていた。彼らは互いに顔を見合わせ、信じられないものを見たという風に戦慄しながらも、無意識にユウヤから距離を取っている。(……でも、殺気に気付いて即座に動けたんだから、やっぱり凄い人たちなんだよな) ユウヤは心の中で彼らをフォローした。普通の人間なら気付く間もなく意識を刈り取られていたはずだ。 それにしても……と、ユウヤは自分の手のひらを見つめた。殺気だけでこれほどまでに相手を無力化できるとは思わなかった。もし「威圧」や「威厳」といったスキルを意図的に使いこなせるようになれば、無駄な戦闘を避け、睨むだけで争いを収めることもできるかもしれない。(威圧と威厳……。いつか覚えられるかなぁ) そんなことを考えていると、ようやく落ち着きを取り戻した女性の護衛が、背筋を正して深々と頭を下げてきた。「失礼いたしました、ユウヤ様。……そして、このナイフ。先ほどの輝き、確かに私を『何か』から守ってくださいました。このような素晴らしい品をミリア様に……。護衛として、心より感謝申し上げます」 彼女の言葉に、ミリアも再び自分の手元のナイフに視線を落とした。深く、静かに輝く青い魔石は、先ほどまでの激動が嘘のように、今はただ優しく主人の手を照らしている。「……ユウヤ様。このナイフ、一生大切にいたしますわ。わたくしを守ろうとしてくださる、あなたのそのお気持ちと一緒に」 ミリアはナイフを愛おしそうに胸に抱き寄せ、春の陽だまりのような微笑みをユウヤに向けた。 女性の護衛が、さきほどからずっと俺のことを見つめてきている。その視線は射抜くように鋭く、それでいてどこか熱を帯びているようにも見えて……。なに? やっぱり、得体の知れない危険人物だと思われて警戒されているんだろうか。「えっと……なに?」 耐えかねて尋ねると、彼女はハッとした
「ミリアに殺意や害意を向けてくる人やモンスターがいると守ってくれるように、魔石に秘密の仕掛けをしてみたんだよ」 ユウヤが少し得意げに明かすと、ミリアは胸元に手を当て、うっとりと頬を染めた。「そうですか……♡ ありがとうございます」「まだ成功したか分からないから……お礼は早いよ」「そのお気持ちだけで、わたくしは十分に嬉しいのですわ」 ミリアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべたが、ユウヤは万が一を考えて彼女の肩をやさしく押し、距離を取らせた。「一応、ミリアは少し離れていてくれるかな。悪いね」 魔石がどんな未知の反応を示すか分からない。ユウヤは念のため、ミリア自身の周囲にも目立たない程度の防御結界を二重に張り巡らせた。「はい♪」 ミリアが素直に下がったのを確認し、ユウヤは女性の護衛に向き直る。「それじゃ……殺意を向けるよ〜」「はいっ!! どうぞっ!」 女性の護衛が鋭い呼気と共に身構えたのを見て、ユウヤは「標的を絶つ」という意志を意識の表層へと引き上げた。 瞬間、リビングの空気が凍りついたように一変した。それは、単なる「怒り」などではない。首筋に冷たい刃を突きつけられ、心臓を直接握りつぶされるような、逃れようのない死の予感。ユウヤの周囲から放たれた圧倒的な圧に、空気が物理的な重さを伴って軋む。「あ……がっ……」 護衛の女性は、あまりの恐怖に顔面を蒼白に染め、力なくその場に座り込んだ。ガタガタと歯の根が合わないほど震え、視界が歪むほどの重圧。だがその時、彼女が握っていたナイフの魔石が鮮烈な蒼い輝きを放った。 半透明の美しい障壁が彼女を包み込み、ユウヤの放った殺気を弾き飛ばす。 異様な殺気を感じ取った他の護衛たちも、武器を手に次々とリビングへ飛び込んできた。だが、彼らも部屋に足を踏み入れた瞬間、中心に立つユウヤの放つ「死の気配」に呑まれ、膝を突いて座り込んでしまった。
ミリアのナイフのサイズに合わせ、魔石の形と大きさを精密に調整していく。指先で魔力を整えながらナイフの柄へと嵌め込むと、それはまるで最初からそこにあったかのように完璧に馴染んだ。(うん……なかなか格好良いじゃない?) 完成したナイフは、ただの宝石とは一線を画す、深く幻想的な輝きを放っている。見つめていると吸い込まれそうなほど純粋な蒼。それがミリアの柔らかな金髪と対比され、凛とした美しさを引き立てていた。「はい。これだけど……どうかな?」 差し出されたナイフを手に取り、ミリアは息を呑んだ。「わぁ……キレイです……スゴイですっ! こんなに澄んだ青色は見たことがありませんわ……」 彼女は宝石の輝きを瞳に映しながら、うっとりとナイフを見つめている。だが、ユウヤはそこで終わらせるつもりはなかった。「ちょっと待ってて……試したい事があるんだ~」「はい♪」 ミリアはユウヤへの全幅の信頼を込めて、花が綻ぶような笑顔で頷いた。 魔石を指先でなぞりながら、対象者に害意や殺意が向けられた瞬間に強力なバリアが発動するよう、緻密なイメージと共に魔力を流し込んだ。 よし……成功したかな。すぐにでも性能を試したいけれど、当然ながら俺がミリアに殺意を向けるなんて真似は逆立ちしたってできそうにない。そこで、気配を感じる天井付近へと視線を向けた。「あ、護衛の人……ちょっと良いかな? これを持っててくれる?」 そこにいる精鋭なら実験台には丁度いいと思ったのだが、言葉を遮るようにミリアが声を荒らげた。「ダメですっ! そのナイフは、男性の方で持って良いのはユウヤ様だけですわっ」「えぇ……実験なのに……ダメ? 試したいんだけどなぁ」「ダメですっ!」 ミリアは両手
だが、腰に下げた紋入りの剣の感触が、少しだけ心を軽くした。この王国で冒険者としての証明を得て、国を救った功績も認められている。これまでの信頼があるのだから、理不尽なことにはならないはずだ。「……今は、考えないでおこう」 ユウヤは思考を切り替え、逸る気持ちを足に乗せて家へと急いだ。ギルドでの騒動と山での激闘を終え、全身にずっしりとした疲労感が染み渡っている。何よりも今は、あの温かい場所へ帰りたかった。 玄関の扉を開け、リビングへと足を踏み入れる。 パチパチと暖炉が爆ぜる音と共に、スパイスの効いた食欲をそそる夕食の匂いが鼻腔をくすぐった。視線を上げると、そこには今か今かと待ち構えていたミリアの姿があった。「ユウヤ様……!」 目が合った瞬間、ミリアは弾かれたように椅子から立ち上がり、駆け寄ってきた。彼女はそのままの勢いでユウヤの胸に飛び込み、折れそうなほど強く抱きしめる。「もぉっ! 心配しました……酷いですっ! ギルドに行かれるとしか聞いていませんでしたよっ! しかも……伝言を、隠れて尾行をしていた隠密の方に頼むなんて……」 ミリアはユウヤの胸に顔を埋めたまま、ぎゅっとその衣類を掴んで抗議の声を上げた。 主人が急にいなくなったと思えば、姿の見えない護衛の隠密が困惑した様子で現れ、「ユウヤ様から伝言です」と告げられたのだ。その状況を思い返したのか、ミリアの肩が微かに震え始める。 彼女は顔を上げると、潤んだ瞳でユウヤを睨みつけたが、その口元は既に緩んでいた。「……ふふっ。あの方たち、気配を消して守るのが仕事なのに、あっさりと見つけられて、あろうことかお使いまで頼まれるなんて……。戻ってきたとき、すごく複雑な顔をしていましたよ?」 心配でたまらなかったはずなのに、ユウヤのあまりに規格外でマイペースな行動が、彼女の不安をおかしな笑いへと変えてしまったようだ。「…&hellip
「分かった。みんなには内緒ね!」 ユウヤが爽やかな笑顔で約束すると、ニーナは安堵したように、けれど大切そうにネックレスを胸に抱きしめた。窓から差し込む陽光が、彼女の金髪と青い魔石を宝石のようにキラキラと輝かせていた。「魔石の買い取りは、どういたしますか?」 ニーナが名残惜しそうにネックレスを指先でなぞりながら、職業的な顔に戻って尋ねた。「ん~今回は、止めておこうかな」 これだけの数の魔石を一気に市場へ流せば、価格の暴落を招くかもしれない。ユウヤはそう判断して首を振った。「そうですか……分かりました。それでは、こちらが今回の報酬の金貨五枚です。それと……ちゅ♡」 金貨を手渡すためにユウヤが手を伸ばした、その一瞬。ニーナが不意に身を乗り出し、至近距離まで顔を近づけた。頬に、柔らかく温かな感触が触れる。 え? えっと……。 ユウヤは雷に打たれたように硬直した。嬉しいけれど、ここがギルドの応接室であることを考えると、あまりにも刺激が強すぎる。「ご迷惑かもしれませんが……私に出来る、精一杯のネックレスのお礼です……」 ニーナはいたずらっぽく、それでいて潤んだ瞳でユウヤを見つめた。その表情には、受付嬢としての仮面など微塵も残っていない。「心配してくれたお礼だったのに……またお礼をされちゃったよ」「はい。本当に嬉しかったのです。あんなに素敵な、初めてのプレゼントを頂いちゃいましたから……」「え~ひどっ。あの時に、あげたリボンもプレゼントだったのに……」 ユウヤがわざとらしく、少し拗ねたような声を出す。「あ……そういう事では……すみません……ううぅ……」 『ニーナは失敗した!』と







